2011年3月全くのゼロからタイ語学習をスタート!同年9月から現在に至ってはタイのバンコクに滞在中。バンコクの生活情報やタイ語留学でのおすすめ勉強法や教材などをご紹介していきます。by タイ在住わらしべ長者
不法入国、不法滞在で逮捕!タイの留置場、裁判所、収容所の実態を暴露【第3章】
記事公開日:2016年10月7日
最終更新日:2016年10月12日
バンコクのわらしべです。
現在連載記事を公開中。本日は第3章をお送り致します。
【前回までのあらすじ】タイの出国時、入国スタンプがない事からイミグレーションの別室に連行される。そして不法入国、不法滞在者とみなされ逮捕。結果、その日のフライトで日本へ帰国する事は出来なかった。
では、さっそく続きをどうぞ!
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【第3章】留置場
調書にサインをします。
空港警察署を出て、パトカーの後部座席に座ります。
空港近くの地元警察署へ到着します。
到着までの数十分、ずっと安田さんと電話を繋げていました。
「○○先生の耳には入れた・・ ○○大臣から・・ 」
「土曜日で大使館は休みだが今・・」
「現地の警官には・・」
「賄賂の・・」
「家族には・・」
「明日そこに行くから・・」
警官に電話終了を促され、電話を切ります。
財布以外の全ての荷物を預けさせられました。
私はパニック状態の中、今起こっている信じられない出来事に少しでも抗いたかったのか、
「携帯電話はプライバシーだ。預けることを拒否する。」と抵抗すると、警官はあきれたように携帯内のSDカードだけ許可し、私はそれを財布の中にむきだしのまま入れます。全く意味のない行動・・。
時刻は夜の10時頃。
ついに私は鉄格子の中に入りました。
※この時の感情をうまく伝えることができませんので、しばらく感情抜きの文章とします。
2階事務室の横にあるこの留置場は、網格子の出入口扉から入るとまっすぐ15m程の通路。左右に20~6畳程の鉄格子部屋が計4つ。
先客は1名。若い小太りの女の子。
って、女の子?!
説明もなく、出入口扉を入り放置されただけなので、勝手がわかりません。
各部屋の鉄格子は開けっ放しで出入り自由なのです。
どこに身を置いてよいかわからず、女の子の部屋の前を通り過ぎ、なんとなく隣の一番広い部屋にはいってみました。
石タイルの床、コンクリートの壁、高い天井位置に昼夜がかろうじて判る程度の光しか入らない吹き抜け窓、監視カメラ、しゃがめば隠れる高さの壁の裏にトイレと水道蛇口、水を貯める小さなドラム缶、水桶、ぞうきん1枚。
これが部屋の全てです。
タイル床に直接寝るしかありません。当然毛布も無し。通路の天井で大きな扇風機が回っていたので通路が一番涼しく、結局そこを自分の居場所兼寝床としていました。ゴキブリ、ネズミと一緒に。
何もやることがないので女の子に話しかけることに。
女の子はアム。英語が少しできて、お金がない恵んでくれと別れるまで私に頼んでました。アムにはいろいろとこの中のルールや過ごし方を教えてもらいました。
あれ?アムの右手には時計があります。コンビニ袋も持っています。
徐々にわかったのですが、食べ物の差し入れは自由、別途100バーツ程の賄賂?小遣いを払えば警官が飲み物買ってきてくれたり、自分の所持品、携帯も少しの時間なら出してきてくれるとの事。
タバコも警官が「隠れて吸えよ」とOKでした。食事は3食とも味付け具が少し乗った米ビニール袋に一袋とミネラルウォーター。これは無料でした。
次々と容疑者が放り込まれ、明け方までにどんどん増え、皆次第に仲良くなり 大部屋で車座(くるまざ)になり話したりして過ごしてました。
10代のミャンマーの兄弟二人、後は全てタイ人で、50代のおばさん、10~20代の男女がアム含め6名。この6名は個別ですが全員が、とあるモノの所持で捕まりここへ来ていました。そして日本人の私です。
※私は言葉の通じない外国人と長時間コミニュケーションをとる経験はこの時が初めてでしたので、非常に新鮮で唯一の収穫でした。少しは英語上達したかな?
眠らず朝になり、ずっと安田さんを待ち続けました。
安田さんは現れました。網格子越しに姿を見つけた瞬間、グッとくるものがあり・・。
安田さんは「な~に泣いてんの笑」といった次に、留置場の中を覗いて「なんじゃこりゃあ・・」と絶句。
「今空港とここの警察で話してきた。明日の朝10時に裁判所へ行く。簡易裁判で済む。裁判所で罰金払って、即開放。自身で1ヶ所寄ってチケット買って帰れると言ってた。明日朝まで頑張れ。」
私はただただ礼を言い続けました。
たくさん差し入れをいただき、その後、皆とパーティーよろしく互いの差し入れをシェアしながらわいわいやって、明日の朝をいまかいまかと待ち続けました。
しばらくして、懲役5~10年と自称の25才の男が、ストロベリー味のガムの包みを変な形に折り始めました。
そしてトイレの壁裏へ。数名もついていきます。
ライターをシュッシュとつける音と共に、煙が立ち登ります。部屋中がモワーンとストロベリーに似た匂いで充満し始めます。
○○○をこの状況で始めました。
お前もやるか?と声をかけてきます。私が首を横に振って大部屋の隅でいると、別部屋にいて車座にはずっと加わらなかったミャンマーの兄弟が、私を手招いてくれてそちらへ移動します。
しばらく大部屋には近づかないでいました。
数時間ほどたったあと、大勢の警官が入ってきて、全員が壁に手をついて中腰で立たせられます。
警官は、順番に全身の体をまさぐりながら首筋の匂いをずっと嗅いできます。
終了後警官は出ていきました。また数時間ほどたってから一人名前が呼ばれ、しばらくたってからため息と共に戻ってきて、またしばらくたってからまた一人名前を呼ばれが続きました。
そして最後まで名前を呼ばれなかったのは、ミャンマー兄弟とおばさんと私でした。淡々と書きましたが、この長く長く感じた時間
「私の人生はすべて終わったーーーーーーーーーーーー」と、いろんなことやいろんなことやいろんなことを、考えて考えて考えた時間でございました。
そして、待望の朝を迎えることができました。
この状況からやっと解放される・・
朝一番に安田さんが来てくれました。裁判所までついてきてくれるといいます。感謝。開放の手続きなのか、ここで初めて指紋をとられました。
両手の各指をしっかりと1本ずつ。
そして読めない書面にサインをします。
準備待ちなのか時間を待たされ、皆には長めに別れの挨拶をします。
「2日間いろいろ言葉のわからない外国人を相手してくれてありがとう。先に行くけど皆ここで頑張れよ。2度と会うことはないけど、さよなら。」と感傷に浸ります。
ある男には「この後の刑務所生活で着てくれ」と私の着ていた甚平をプレゼントしました。
するとやがて、皆も一人ずつ呼ばれ指紋を取られ始めました。
そして私も含め皆全員が並ばされます。
結局皆全員で裁判所に向けて出発とは知りませんでした。
順番に数珠つなぎに手錠をかけていきます。一番最後の私の右手と隣の男の左手が手錠で結ばれました。
生まれて初めての手錠。私は皆と同じ扱いの罪人なんだなと重く感じる瞬間でした。
皆ぞろぞろとカニの横歩きで、留置場の扉をくぐり、外に出ます。
外から丸見えの金網窓のトラック。
護送車です。もちろん初体験。
皆両手が使えないのでお互い引っ張られながら、そろりゆっくりと護送車の荷台に乗り込みます。
出口で安田さんを見失い、不安のまま裁判所に向けて走り始めました。
【第4章】裁判に続く
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