ボルネオ島 1人旅

ボルネオ島バックパッカーの1人旅 in 東マレーシア

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コタキナバルでドゥスン族の女子と出会う

記事公開日:2007年1月12日
最終更新日:2016年10月17日


ドゥスン族との出会い(01/12)

 

ラブアン島のゲストハウスで、7:30amに起床した。

 

コタキナバル(KK)行き8:30の船に乗った。

 

Duty freeでお土産(RM23)を買って出発

 

搭乗中、冷房の効き過ぎで寒いうえに船酔いからトイレで吐いてしまった。


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船酔いでこれだけ気持ち悪くなったのは生まれて初めてだった。

 

トイレにうずくまり「もう、どうにでもしてくれ!」ってな感じ(笑) マジでw

 

そんな理由からほとんどKKまでの2時間半をトイレの中で過ごした。

 

この事で、どういう訳か判らんが俺っちは船の上に弱い事を自覚した。弱点発見。(泣)((+_+))

 

コタキナバル到着後、クチン出発前に宿泊していたホステル、エクスプローラー(Xplorer)(RM20)に再宿泊。

 

そこで2時間ほど仮眠した。

 

それからHakeemの会社へ行って一緒にランチ(RM12)を食べた。

 

夕方6時にカフェでお茶をして、Airportでの彼のお仕事を見学させて貰った。

 

コタキナバル空港に新しく設置されたカウンター

 

9:00pm ネットカフェ(RM4)後にディナー(RM13)を食べ、Hakeemの友人Mors(モース31才)とドゥスン族の女の子3人と合流して皆でClub(RM41)へ行った。

 

この日初めてドゥスンの民族と話しをした。

 

 

ドゥスン族
マレーシア最東端,ボルネオ島北東部にある州。南部はインドネシアと国境を接している。面積7万4000km2,人口181万(1991)。州都はコタ・キナバル。住民は土着のカダザン(ドゥスン)族(28%)が最も多く,次いで華人(21%),バジャウ族(12%)となり,マレー人は増加しつつあるがまだ3%にすぎない。1970年代になってフィリピン南部からのイスラム教徒難民が激増している。18世紀後半よりイギリスの勢力下にはいり,1963年マレーシア連邦結成に加わり植民地から脱した。 引用元: コトバンク

 

 

帰る頃にはドゥスン族の女の子とかなり仲良しになってた。 (・ω<) てへぺろ

 

この日、部屋に戻って来たのは3:00amを回っていた。

 

計 RM 120

 

 

翌日KKを発ち、クアラルンプール(KL)の自宅へ戻った。

 

その4日後、オーストラリアの旅へ向かった。

 

 

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